すまろ第二号より抜粋


古史古伝概論(第一章)

 日本の歴史を紐解くときに、その不完全な史実の狭間に埋没され「古史古伝」と云われた、太古のロマンを夢想させる書籍群があることを読者諸氏はよくご存じであろう。

 本編の目的は、その「古史古伝」を今一度読者諸氏に紹介し、歴史的真偽は別にしてその中から読みとれる太古のロマンを語り合いたいというものである。

 当然ながら「古史古伝」を語るときに、欠くべからざる存在としての「神代文字」に関しても我々の興味の尽きぬ事柄であり、紙面の許す限り紹介していきたい。

 

 さて「古史古伝」という言葉は、元々「超古代史」という言葉で紹介されていたそれらの資料の総称として、「古史古伝」ブームを引き起こした佐治芳彦氏の著作群によって紹介・定着させられた言葉である。

 これは「古史古伝」研究者の偉大な先達として名高い吾郷清彦氏が、その著書「古事記以前の書」の中で神代についての伝承を含む古文献を古典・古史・古伝の三種類に分類した事からの出典である。

 吾郷氏の分類によれば、古典とは記紀等の公認された神代関係資料。古史とは「竹内文献」や「富士古文献」などの神代文 字に関する伝承を含んだ資料。古伝とは「上記」や「秀真伝」のような神代文字でかかれた資料となっており、後に「超古代史」の代名詞として使われたことから、正史といわれる記紀の内容以上の神代著述のある書籍群ぐらいの意に解して欲しい。

 とりあえず有名なところを簡単に紹介すると、「古史古伝」の筆頭にあげられるべき書籍は「先代旧事本紀大成経」であろう。

 これはかの聖徳太子が小野妹子を平岡京に秦河勝を泡輪京に派遣して、卜部・忌部両家の神代古記録を編纂させたもので、鷦鷯(白河)三十巻本・長野十巻本・高野七十二巻本の三種があって、上州館林の広済寺住職・潮音が延宝七年(1679)に七十二巻の高野本を刊行して世間に流布したものが有名であり。偽書とされた筆頭でもある。この本は成立そのものに記紀以上の胡散臭さがあるのだが、中世の伊勢神道・吉田神道では記紀と並んで重要視された神道書としての性格もある。

 

 中央以外の各地方の歴史書である風土記や地方旧記として記紀には無い貴重な神代の伝承を記録してある古書類もある。「但馬国司文書」「但馬郷名記」「但馬世継記」などは但馬国風土記の原本的性格を帯びた古文書を再編纂した物のようだ。同じように甲斐国造家に伝わったと云う古文書を郷土史家須田宇十が研究整理をした「甲斐古蹟考」や作者不詳ながら隠岐島を中心とした出雲地方の古代史を綴った「伊未自由来記」等もある。飛鳥時代の学問僧であった南淵請安かその門人によって記されたと云う七世紀の漢文体の史書「南淵書」には「高句麗の好太王碑文が全文」納められていた事から昭和八年に歴史学上の論争の種となり、結局偽書とされた。

 一方、日本以外の中国や韓国に伝わる古史古伝もあり韓国最古の史書とされる「符都誌」や「花郎世紀」を筆頭に「竹書紀年」「穆天子伝」「山海経」「契丹古伝」「揆園史話」「桓檀古記」「檀奇古史」等がある。

 さて、最後になるがいわゆる神代文字といわれる漢字伝来以前の文字によって綴られたという書籍群を紹介する。

 「秀真伝」 

 「上記」 

 最後になったが、神代文字で書かれてあるが歴史書ではない古文献を紹介する。

 これは「カタカムナのウタヒ」と呼ばれ、昭和二十年初頭に楢崎皐月が兵庫県六甲山中で自称「カタカムナ神社の宮司」の平十字と名のる老人から、カタカムナ神のご神体とされる巻物を書写して解読したものである。それはカタカムナ図象文字と云われる記号のような神代文字で渦巻き状に記された八十首の歌で構成されており、楢崎の解読によれば上古代の自然観に基づく科学書と云われている。ただ、「イヤシロチ」「イヤケガレチ」等の思想は、後にイギリスで発見されるレイ・ラインに通じるところがあり、我々の興味の対象としておおいに感化されるところである。


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