すまろ第七号より抜粋


平成外典集成(巻ノ一)

 世間には道や教えという程までには至らないけれども、なかなかに深い含蓄や技術があるモノが、思いがけないほど多くある。それらは、本宗や本典・内典などと呼ばれる各々の道や教えの主流から外されたモノで、外法・外典と呼ばれている。

 この「平成外典集成」は、歴史の闇に葬られたそれら外法・外典の類を読者諸氏に披瀝する事を目的とした。かなり実践的な内容になるので、楽しんで頂けると思う。

 ただそれらは、この手の探求者として正道を歩まんとしている我々や読者諸君が実践するには相応しくない事柄ばかりである。この事を強く心にお留め置き戴き、くれぐれも取り扱いにご注意いただきたい。提供する我々には、これ以後の責務は免除され、読者諸君に全ての責は負わされるのだから。

(なお、本編タイトルは明治の大著「外典集成」に起因するが、その内容は新選されたものである。)

解説

 さて、第一回目に紹介するのは「神使靈狐應用法」である。この書籍は、京都在住の某祈祷師を介して手に入ったものである。出所は、かつてかなりの資産家であった旧家で、今は没落してしまっている。それと言うのも代々当主が若くして変死を遂げており、そのルーツを探っていったところ、どうやら一代で資産をなした先祖が「七代転運外法」(某神道系御神札を油で揚げながら祈祷し、以後七代に賜るべき運を、己が一代で使うと言う法。)を修法したらしい。その先祖がその類の術法を好んで蒐集実践していたらしく、本書は特に珍重し、別格に取り扱っていた一書のようだ。

 内容としては、各種の古神道神社や教団などに伝わる、奥義秘伝の類を列挙して、ある程度体系化してある。本来は、それぞれに体系があるので、それらを並べたとしても効果の程は本質から外れると思われるが、我々にとっては、良い資料となりそうだ。

 なお、今回は諸般の事情も有り、原文を平易な現代語訳にするだけにとどめた。別の機会と勇気があれば解説等も試みたいところである。

 

神使霊狐応用法

 さて本編は、まず心身ともに俗塵を脱し、神人合一の境地に至り、神使霊狐を勧請し祈祷応用する為の書である。その神仙古聖の跡を知り神道実地するの修業法を示す。先ず、初位即入信位、二位即観信位、三位即本明位、四位即観応位、五位即極位いわゆる成神位と成る。更にこれを十八行に分かちて修得すべし。しかして祈祷法を修して、次に勧請法を得る。

 

第一節 初位の修行

一行 行水と祓ひ

水想観

一、水の功徳を想う。一切の生物は水によって生存す、水なければ何物も生育する能はずと観ず。

二、水の普遍性を想う。水は地下いずれの所にも潜在し、(略)〜と観ず。

三、水の清浄なるを想う。水は一切の汚れを洗い、(略)〜の如しと観ず。

四、水の猛利を想う。水は静かなるものなるも、(略)〜の如しと観ず。

 行水終わりたれば能く拭きて着衣し、*に限りて場外に出で四方拝を行う。

四方拝 次第

(略)

 かく四方拝を終われば、帰って修行殿に入り既定の座に着く。(早旦以外はここに続く)

 先ず主神礼拝を行い、次に大祓ひ詞を奏上する。なるべく大声で十三回以上一時間位行う。

 以上の如く初位の第一行の二法、すなわち行水と大祓詞奏上を行うこと、普通で一週間、早きは三日、遠きは一ヶ月、その期間は師の鑑定に任される。この第一行を終わりて第二行に移る。

 

二行 調気法

 第二行は、行水と四方拝は第一行に同じく行い、次の大祓詞奏上は三回を減じて、大祓詞奏上の後に約一時間をかけて調気法を修すべし。これを*ヶ月以上続けよ。

 調気法とは、先ず端座して姿勢を正し、(略)〜この調気法の意義を吐魔迎神と云う。

 

三行 清浄観

 第二行調気法を修得したる上で第三行に移る。第三行においても、行水と四方拝は前の如し。次に大祓詞奏上を一回。次に調気法を二十分。そしてそれに続いて清浄観を行う。その期間は一ヶ月とする。

 清浄観は、もう一方からの見方をすれば不浄観である。不浄を観じて清浄に入ることを云う。例えば、己が美食の欲念強き者であると自覚すれば、美味美食も一旦口中に入れば腹中にて糜爛咀嚼され、腸にては臭気を発し、ついには糞尿となりて体外に出で、終わりには蛆虫これに沸くと観じるべし。また、己が淫欲強き者と思えば、朝に紅顔ありと謂えども、夕には白骨になると観じ、欲は皆不浄なり苦穢なりと想い、欲を去れば天真玉空自性本来清浄なるを得るべしと念ずるが如きを云う。

 この清浄観を行うこと毎日三回、一回一時間内外とする。而して観後に六根清浄祓い詞を三回ずつ毎回奏上するべし。

 

四行 神威観

 第三行清浄観を終われば、第四行神威観に移る。行水、四方拝、大祓詞奏上、調気法を行うことは前に同じ。その後、毎日三回約一時間程神威観を行う。その期間は三週間以上とする。

 神威観とは、(略)〜その厳手成るに真に人間界の名法官と異なること無しと観ず。

 かくの如くに神威観を修したる後には、毎回必ず十種の神霊辞を七回ずつ奏上するべし。

 

 以上にて初位入信位は修得せり。信仰はいよいよここに確定して、また決して動くこと無し、未だもって人を教化するは不可能成るも、敬神家たるの基礎は立ち、いわゆる独善君子たるの位置に達成せしものなり。

 

 

第二節 二位の修行

 第二位の観信位は、宇宙の真相、人生の帰趣を覚悟するを目的とするによって斯く名づけられる。二位の修行もまた四行に分けられる。但し、行数を追いながら十八行とする故に、ここでは五行として始むるべし。

 

五行 宇宙観

 行水、四方拝、大祓詞奏上、調気法を行うことは以前と同じ、それを終えて次に静座して宇宙観を行うこと。毎日三回、一回約一時間にして、その期間一ヶ月以上とする。

 宇宙観とは、(略)〜実に一切の根本たる原理にして、真智の関門なれば決して誤るべからず。

 

六行 自心観

 第五行において、宇宙の真相を自覚したる上は、更に進みて自心のいかなるものなるかを覚るべし。

 この六行は、先ず行水、四方拝、大祓詞奏上、調気法を行うことは前に同じく、然る後毎日三回、一回約一時間に亙り自心観をなすべし。これを為すこと普通四週間、早きは七日、遅きは三ヶ月を要すべし。

 自心観とは、(略)〜土と化するの形勢を順逆縦横に観じ、以て自心の活動と変通とを想うべし。

 

七行 霊力観

 第七行も行水、四方拝、大祓詞奏上、調気法を行うこと前の如し、而して後ち毎日三回一回一時間霊力観を行うべし。この霊力観はすこぶる困難なる観法なれば、其の期間の予定し難きも、通常**日、早きは十日、遅きは際限なく、或いは体得修成を了し難き者さえあり。

 霊力観とは、(略)〜一種不可思議の活力を有し、それが人間と相関するなることを具体的に覚了すべき事とする。

 

八行 鎮魂入神

 第八行も始めに、行水、四方拝、大祓詞奏上、調気法を行うこと前に同じ、次に鎮魂入神の法を行うべし。此は何回と定むべき事柄にあらず。また時間も一定するを得ず。十分間にて鎮魂するもあり、二時間にても鎮魂に至らざるもあり。従って、その期間の如きも、早きは一週日、長きは*ヶ月、或いは*ヶ月を要することもあり。

 鎮魂法は(略)〜寂然不動の姿に居りて、無念無想の三昧に入るものなり。

 鎮魂は即入神にして、入神はまた帰神とも云う。自己の妄念を止むれば、本来の神明と帰同し、神霊に入還するを以てなり。既に**に至れればここに入神し、入神すれば直ちに積極的に活動して**となる。然れども今此の行は、消極的**の境地を目的とし、未だ積極的**の活動には至らざる程度のものなり。

 

 以上にて、第二位の修行を終われり。此にて最早や、一宗教家としての見識程度は見定まり、理論においては至れり。されば祈祷修法者として、人を救うことは未だ及ばざれども、口に理を説くことは可能なり。

 

第三節 三位の修行

 第三位の修行は本明位と云う。これは自己及び宇宙の本質を明らかにして、以て宇宙と自我、即ち小我と大我、神明と人間との具体的交渉、いわゆる物質上の関係を結び得る根源を了得する階位なり。この第三本明位もまた四行に分かる。その行法は以下の如し。

 

九行 五行観

 今まで行ってきた所観行は、無形の方面より宇宙及び人心を観察したるものであったが、これよりは、有形的物質方面より一切を観測せんとするものである。

 第九行も初めは、*****(略)〜前の如く。次に五行観を修する。此の観は、一日一回二時間位とし、他の余暇は前の八行の復習を随意に為すべし。此の観行は**日位にて達し得べきものとする。

 五行観は、(略)〜同体同源宇宙一体の大全境地に到達すべし。

 

十行 霊肉調和観

 此の第十行もまた先ず、行水、四方拝、大祓詞奏上、調気法を行い。然るべき後に霊肉調和観に入る。これは毎日散開約一時間ずつ行い、*日間くらいを期間と定める。

 霊肉調和観とは、(略)〜此によりて療病消息の祈祷、並びに間接祈祷の有効なる所以の原理を自覚するものである。

 


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