すまろ第八号より
密法修法(巻ノ一) |
序説弘法大師の教えとは即身成仏の道を説くもので、この身はこのままで仏力の「三密加持」によって智慧と霊徳を発現する事なのです。 三密とは如来の「身口意」を差し、「身」は、目に見えない世界を含め凡そ森羅万象ことごとくを意味します。「口」とは森羅万象の形や響きのことで、「常に真実を説く」と言う意味でもあります。「意」は宇宙の本源である如来の心、即ち宇宙の心に人の心も通じるものである、と言う意味です。 この「身口意」は命の躍動や万物の生成、生滅変化の経過を示し、知識や学識で認識しようとしても不可能です。しかし、自然の変化流転や、連鎖と言う助け合いの働き、自然の法を悟る事はできます。見える世界に在りながら、見えない世界を知る。これが「即身成仏」なのです。まず仏となり、仏としての道を歩んで行く。という事です。 「三密加持」の修行法は多種多様ありますが、数百はある印契と真言、そして観法を、全て覚えなくても良いでしょう。一真言の念誦をひたすらつづける方が信心は成就しやすいからです。慣れない印契や真言に心を散らされては観法は成りません。これから様々な法を記して行きますが、基本は一真言・一印契・観法、ですから一つ一つ確実に修していって下さい。同時に「六波羅蜜」即ち「六度の行」も心掛けなければなりません。
布施 施し供養の行い 持戒 生活上の戒め 忍辱 忍耐練行 精進 精進努力 禅定 心を静寂に保つ 智慧 悟り
この六つの行を、真摯に行って初めて「三蜜加持」も成るのですから。
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「般若心経」概略 「摩訶般若波羅蜜多心経」は、般若経と言われる一群の経典から抜き出し集めたものとされています。その主要の十種は、「小品般若」「大品般若」「仁王般若」「金剛般若」「般若心経」「濡首般若」「文殊般若」「勝天王般若」「大般若」「理趣般若」です。 祈りや悪魔祓いの功徳があるとされ、祈祷の中心に般若心経が用いられるのは何故なのでしょう。それは、般若心経の構成を見れば明らかでしょう。釈尊がいて、観音がいて、舎利佛に答えると言う形で法が説かれています。つまり、般若心経は釈尊の言葉であり智慧なのです。その般若心経を口にする人は、「釈尊の智慧(さとり)に目覚めている人間である」という事になりますから、悪魔(恐怖)は容易に近づけ無いのです。
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「般若心経」本文
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「般若心経」対訳 心を観察する事が自在に出来る観音様は、安らぎに至る清らかな叡智を深く静かに働かせていた時、ものと心は五つの条件が集まって因縁和合しているのだから、とらわれようが無いと見極めて、あらゆる苦悩から解放されました。
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「光明真言」概略 光明真言は「不空羂索毘慮遮那大灌頂光真言」「不空羂索神変真言経廿八灌頂真言就品」からの真言で、密教灌頂に際しての聖句です。いかなる仏尊の前で修しても、そのまま諸尊の供養となるとされており、「施餓鬼」「滅罪」「術を打ち破る」「宿業病障を除く」「知恵弁才福楽長寿を得る」等とされ、更に、土砂加持をした砂を死者の上に散じると「亡者得脱」「罪障消滅」等の功徳があると言われている呪なのです。
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「光明真言願文」 大日如来は諸仏の本地、衆生の父母なのです。諸仏供養衆生成就の本願力をもって、五智の光明功徳を二十三字の梵字に封じ、これを衆生に与えて無明の闇を照らし、現当二世の諸願を成就させました。これを大日如来大灌頂光明真言と言います。ですから、光明真言は、諸仏菩薩の総真言にして、その功徳も広大無辺です。「もしこの真言の声を聞く事あらば、十悪五逆の大罪もたちどころに消滅し、もし自ら信じて唱えるならば、その功徳は八万四千の一切経を讀誦するよりも優れている」と、経の中でも説いています。至心に光明真言を唱え、現世安穏後生菩提を祈り、三千十方の諸仏が、我の信心を照覧して光明遍照、加持護念の利益を与えて下さいます様に。
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「光明真言」本文 帰命・不空・光明遍照・大印相・摩尼宝珠・蓮華・焔光・転・大請願
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「光明真言」対訳 帰命・効験空しからざる遍照の大印、すなわち大日如来の大光明の印よ、宝珠と蓮華と光明の大徳を有する知恵よ、我を菩提の心に転化して下さい。
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